修理対象の「三世仏」は、東山区泉涌寺の仏殿に安置されている。泉涌寺は歴代天皇の御陵が営まれる「御寺」で、真言宗の大本山であり、東山三十六峯の月輪山に静かにたたずんでいる。三世仏は泉涌寺仏殿の本尊で、毎年三月の涅槃会には巨大な涅槃図が掛けられる高い須弥壇上に安置されている。 三世仏は釈迦如来を中央に、向かって左に阿弥陀如来、向かって右に弥勒如来の三尊が安置されている。いずれも等身の坐像で、光背・台座、頭上の天蓋で荘厳され、過去・現世・来世の教主を現している。
平成18年12月、専門家による三世仏の学術的調査が行われることとなり、須弥壇から御像を降ろす作業の協力依頼が、美術院に寄せられた。
本躰各像を降ろすことは可能であったが、台座を壇上から降ろすにあたり、仰蓮を持ち上げようとした時、組み付けがバラバラとなる様相を呈した。仰蓮より下の敷茄子・華盤・反花・框等の組み付けも不安定な状態で、台座を須弥壇から降ろすことは断念せざるを得ない損傷状況であった。
その後、三世仏の修理が実現化し、平成20年7月より4年がかりとなる修理を開始した。三世仏修理中の仮安置台を設け、各像本躰・光背・台座のすべてを慎重に仮安置台に遷座し、空となった須弥壇上に足場を設置した。この足場は天井から天蓋を取り外すためのものであるが、同時に修理されることとなった須弥壇後壁の巨大な絵画を外すための足場と、一部を共有するものであった。
こうして天蓋を降ろし、三世仏の修理が開始された。
まず最初に修理を行った三基の天蓋は、各像の頭上高く天井から吊り下げられており、取り外し前に損傷状況等を把握することがきわめて困難であった。安全に取り外すためには状況の判断が重要であるため、下からの望遠鏡による観察や、望遠レンズを用いたカメラ撮影によって、損傷状況を見極めた。 天蓋は三基とも、碗状の円い中心部の周囲八方に吹き返しをつけた「円蓋」で、中心部には蓮華と三躰の飛天を配し、豪華な羅網・瓔珞が垂れ下がる。主要部分は桧材で造られており、飛天は彩色仕上げ、その他は泥下地(膠地・胡粉地)漆箔で仕上げられている。
無事、天井からの取り外しをすませ、修理作業所であらためて損傷状況を確認したところ、次のような状態が確認された。
天蓋に引き続き、三世仏本躰・光背・台座の修理を、一躯ずつ行った。
本躰は、三尊とも針葉樹材を用いた寄木造で、肉身部は弁柄漆塗り、金泥仕上げ。衣部は黒漆塗り金箔仕上げで、胡粉による盛り上げ彩色が施されている。
損傷状況は次の通りであった。
矧ぎ目の緩みについて、弥勒如来の後頭部の矧ぎ目には隙間が生じていたが、この矧ぎ目は躰部まで背板状に繋がっていたため、解体しなかった。隙間からファイバースコープを入れ、躰内内刳り部を調査したところ、墨書・納入品は発見されなかったが、玉眼嵌入状況などが確認された。
光背については、次の通りであった。
台座は、今回の修理において最も損傷が著しく、先に述べたように、調査段階において動かせないほどの損傷を被っていた。
美術院は明治31年(1898)、岡倉天心によって創設された「日本美術院」の古美術品修理部門を前身とし、現在の文化財保護法の先駆けとなる古社寺保存法に基づく国宝修理を開始した。以来百十余年にわたり、国宝・重要文化財をはじめとする木造彫刻の修理に携わってきた。文化財の修理は、現状維持修理を基本的理念としている。造仏されてから何百年もの月日を経て、修理を繰り返しながら現在まで伝えられた尊像を、美術的・宗教的・歴史的な価値を失わず、次の世代に伝えるための修理を行っている。
今回の修理も、文化財修理の理念に基づき、次のような修理を行った。
天蓋については、次の通り。
天蓋 修理作業風景
本躰の修理は次のように行った。
光背の修理は次の通り。
台座の修理は、今回の修理作業のうち最も困難なものとなった。
修理箇所は古色仕上げとし、全体的修理箇所が違和感のないよう古い部分との調和をはかった。
以上、泉涌寺仏殿の本尊・三世仏の修理の概要を述べた。
損傷が甚大であり、修理工程が進むにつれて判明した損傷状況もあり、修理担当技師達は長期間にわたって三世仏と真摯に向き合い、修理を続けさせていただいた。
その間、泉涌寺様には深いご理解をいただき、この場をお借りして御礼申し上げます。また、修理事業に対しご支援をいただいた京都市文化観光資源保護財団に、感謝の意を表します。
※当「三世仏」の修復には、平成22・23年度の2ヵ年にわたり当財団で助成を行いました。