はじめに

公益財団法人京都市文化観光資源保護財団(以下、保護財団と略します)は、この令和元年(2019)12月に設立50周年という大きな節目を迎えられます。半世紀の長きにわたって文化観光資源の保護と活用の事業に尽力されてこられたことに改めて敬意を表したいと思います。

本稿では、保護財団の足跡の一端に触れながら、近年の文化遺産の保護について、京都市域を中心とした動向や筆者の考えをお話ししたいと思います。

1. 過去と現在――文化財をとりまく社会状況

さて、保護財団が設立された昭和44年(1969)は、どのような時代だったのでしょうか。前年(1968)には文化財の保護をになう文化庁が設置され、翌年の1970年には6000万人をこえる人々が訪れた大阪万博が開催されています。ちなみに前回の東京オリンピックはその5年前、昭和39年(1964)のことでした。昭和47年(1972)には世界遺産条約が発効し、昭和50年(1975)は文化財保護法が改正されて伝統的建造物群保存地区制度ができ、民俗文化財という用語が定まるなど、大きな展開がありました。

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会報創刊号表紙

このような一連の大きなできごとは、保護財団が設立されることになった社会的な背景を示しているようにも思われます。

令和元年(2019)の前後も眺めてみましょう。3年前の平成28年(2016)には文化庁が京都に移転することになり、2021年度中には新・文化庁が京都に設置される予定です。また2年前の平成30年(2018)には万博開催地が大阪に決まり、2025年に「大阪・関西万博」が開催される予定です。東京オリンピック・パラリンピックはもう間近に迫っています。

“歴史は繰りかえす”ということわざが思い浮かびます。そこで、あらためて「設立趣意書」を読みなおしてみますと、今でも重要なことが書かれていて、とてもおもしろく参考になりました。いくつかあげてみましょう。

一つめは前述の社会状況にかかわることなので、すこし長いのですが、引用しておきます。

近時、国民生活の飛躍的向上に伴い、古都の文化観光資源を求めて入洛する観光客は年々累増しつつありますが、殊に万博の開催を目前に控えて、この傾向は更に飛躍的に激化するものと予想されます。(中略)。しかも、急速な都市開発の進展にともなって、これら貴重な文化財や、歴史的自然環境などが、ややもすれば破壊損傷を被りかねない現状であります。

ふしぎなほどに今の状況と似ていて、とても50年も前のこととは思えません。文中の「万博」が2025年の「大阪・関西万博」を指しているかのような、あるいは来年の東京オリンピック・パラリンピックのことのような錯覚におちいりそうです。しかし、観光客の激増や過激なまでの都市開発など、今の方がもっと深刻ではないでしょうか。過去を省みて、保護財団の設立に匹敵するようなことをすべきだということなのかもしれません。

二つめは、日本文化の過去と現在と未来をつなぐ「歴史的文化遺産」は京都市民の、日本国民のきわめて貴重な「文化観光資源」である、という大切な主張です。現代の視点からあえて贅沢をいいますと、そこに京都という「地域」の過去と現在と未来をつなぐ「歴史的文化遺産」であるという趣旨を補いたいし、また「世界の人々」の「文化観光資源」であるといった字句を付け加えたいところです。ちなみに「古都京都の文化財」が世界文化遺産に登録されたのは、保護財団設立の25年後、平成6年(1994)のことでした。

保護財団は、その設立以来、@ 有形文化財の修理、A 史跡・名勝・天然記念物などの保全、B 無形文化財、民俗文化財の保存と執行、C 文化観光資源をとりまく自然環境と歴史的環境の保全、に対する助成事業などをおこなってきています。50年のあいだに事業の名称や種類・数などは多少変化しているようですが、「文化観光資源」の保護が根底にあるのは変わっていません。また、後にも触れますが、助成事業の対象が「未指定」の文化財であること、いいかえると、行政の補助が及ばないものに対して助成をおこない、これらの所有者・管理者とともにその保護につとめてきたことは、保護財団設立の理念を反映した大きな特色であり、貢献といえるでしょう。

2.文化財とその保護

この半世紀、国・府・市からさまざまな文化財保護の施策があいついで打ち出されてきました。ざっとみても、国においては伝統的建造物群(1975)と文化的景観(2004)という新しい文化財カテゴリーの創設、また文化財の「選定」制度(1975)と「登録」制度(1996)、未指定を含めた文化財の保存と活用を目指す法改正(2018)があります。また京都府は国に先立って登録制度(1982)を始めていましたし、また独自の文化財環境保全地区(1981)や、保護の範囲を大きく広げた暫定登録文化財制度(2017)も実施しています。京都市も一連の独自制度――“京都を彩る建物や庭園”制度(2011)、“京都をつなぐ無形文化遺産”制度(2013)、“まち・ひと・こころが織りなす京都遺産”制度(2016)――を策定し、活発に運用しています。近年の施策は、文化庁京都移転の決定が大きなきっかけになったともいえそうです。

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京都を彩る建物や庭園制度

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京都をつなぐ無形文化遺産制度


こうしたいくつもの動きは、従来の指定から選定・登録へという保護対象の選びかたの多様化とともに、文化財として保護すべき対象の広がり、文化財の捉えかたや考えかたの発展を示しています。  

文化財保護法は、文化財を有形文化財、無形文化財、民俗文化財、記念物、文化的景観、伝統的建造物群と定義しています。このうち、新しいカテゴリーのふたつの説明をあげますと、伝統的建造物群は「周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値の高いもの」、文化的景観は「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」となっています。

「環境」とか「風致」「伝統」「地域」「生活」「生業」「風土」「景観」といった、現代社会において重要なキーワードがちりばめられていることや、文化財保護法が古都保存法(1966)や景観法(2004)、歴史まちづくり法(2008)などと連携していることが注目されます。

文化財というと、古くさく、また変わることがないように思われがちですが、じつはそうではないのです。文化財の考えかたは、人々や社会の価値観にあわせて進化するものと思います。私は、文化財のとらえかたがさらに広がり、充実したものになっていくことに大きな期待を寄せています。


3. 「誰一人取り残さない」

ところで、文化財を保護するために、国や都道府県・市町村は、それぞれに「価値の高いもの」や「理解のため欠くことのできないもの」を指定・選定・登録をおこなってきました。これにより多くの文化財が保護・助成の対象になりました。一方で、「価値の高いもの」や「理解のため欠くことのできないもの」であるにもかかわらず、指定などがなされていない、それどころか、その存在さえ知られていないものが数多くあるのです。そうしてひっそりと破壊され、消滅しているのが実情であり、大きな課題であるといわなければならないでしょう。

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大田神社拝殿

どうしたらよいのでしょうか。さまざまな考えかたや方法があると思います。国や都道府県・市町村の組織・人員・予算などをよりいっそう充実することは、当然なされるべき施策の一つでしょう。それによって指定・選定・登録文化財の質と量がいっそう向上することになるでしょう。

また、指定などの有無にかかわらず、人々の生活、歴史と文化の理解のために欠くことのできない有形、無形のものすべてを文化遺産と考え、大切にすることも必要でしょう。「誰一人取り残さない」ことは、文化遺産の世界でもきわめて大切な理念ではないでしょうか。こうした思いをもっていたので、昨年の京都市文化財保護審議会の「京都市におけるこれからの文化財保護の在り方について」答申書が、「京都の人々の生活、歴史と文化の理解のために欠くことができない有形、無形のものすべてを「京都文化遺産」と位置づける」とされたことはたいへんありがたいことでした。

大切な文化遺産を「誰一人取り残さない」ようにするためには、市民の参加と連携、協働――自発的・自生的・非営利的な活動など――がとても重要な役割を果たすことになります。多くの人々の多様な活動によって文化遺産の発見と維持・継承・活用などにかかわる、さまざまなかたちのしくみを作りあげていくことが不可欠と思います。

おわりに

文化遺産が地域に根づき、生育しつづけるためには、良い土壌や空気とともにさまざまな栄養もまた不可欠です。府や市のいくつかの文化財補助制度がそうした助成をおこなっていますが、十分なものとはいえないでしょう。国・府・市などの補助が及ばない文化観光資源に助成するという保護財団設立時の理念は、今も変わらず大切なことであり、これからも大きな役割を果たされることを期待しています。

京都大学名誉教授
一般財団法人建築研究協会理事長
当財団専門委員会委員