ひとの一生
人間の一生には、誕生、成人、結婚、死などの節目がありますが、そうした節目は、個人が生活する社会内での身分の変化や、新しい権利や役割の獲得、義務の履行などを意味しています。そのため、これらの節目の通過にあたっては、未来の平安と、新たな身分を公示する目的で、それぞれの節目に応じた儀礼がとりおこなわれます。
また、そうした儀礼の多くは宗教的な色彩を帯びる場合が多かったのですが、それも時代や地域、あるいは社会階層によっても大きく異なっていました。第二次世界大戦前、室内での撮影が困難であったという技術的なことや、撮影にかかる経費面からも、誰でもが被写体となれるものではなかったようです。
京都市中の婚姻については、早くから嫁入婚が一般的であり、結婚式にさきがけて嫁方から嫁入り道具一式が、二人が一緒に住むことになる婚家(花婿の実家)に送られます。
結婚式は、婚家でおこない披露宴を料理屋か貸席でおこなうのは、京都市中の一般的な風習でした。結婚披露宴を婚家外でおこなうことは、すでに江戸時代には定着しており、明治以降の欧米文化の流入によって、明治末から大正初期にはホテルにおいて洋式披露宴がみられるようになります。

お祓いを受ける兵士たち
花嫁の披露(大正11(1922)年・下京区船鉾町)


京都市中では、結婚披露宴を料理屋や貸席などで行う風が早くから定着していました。この写真に写っているのは女性ばかりですが、結婚披露宴の数日後に行われた、婚家の親戚の女性、もしくは町内の奥さん連中を招待した席の様子であろうと思われます。当時の披露宴は、何段階にも分けて執り行われ、まず最初に、両家の家族と親類縁者による披露宴が、次に花婿の知人などを招待しての披露宴、そしてこの写真のように、婚家に関係のある女性たち(親類や近所の奥さん方)を招いての披露宴が行われました。この写真が写されたのは、婚家の2階座敷であり、披露宴のすべてに料理屋などが利用されていたわけでもなさそうです。
  1. 花嫁
  2. 花婿
  3. 列席者 具体的な人間関係は不明。
  4. 本膳
  5. 尾頭付きの鯛
  6. 引き出物
  7. 抹茶碗か
  8. 金屏風
  9. 婚礼飾り
  10. 床の間
  11. 織通を敷く

元服式の記念撮影  結婚式の記念撮影
元服式の記念撮影
(明治20年後半・中京区)
元服式の記念に、写真館で撮影されたものです。京都市中には、明治以降の元服に関する記録は、少なく、すでに一般的な儀礼ではなくなっていたようです。恐らく、この写真が撮影された明治20年代後半は、この習俗の最末期と考えられます。元服の儀礼は、江戸時代後期まで盛んで、京都では男児15歳の折りに、11月15日に行われていました。
  結婚式の記念撮影
(大正9(1920)年・中京区)
この当時、京都の商家における結婚式は、すでに神前結婚式が主流でした。この写真は、結婚式の後に、両家の親族を交えて撮影された記念撮影です。この後、料理屋において結婚披露宴が催されており、すでに、現在の結婚式とあまり変わらぬ形式となっていました。
婚礼式の飾り  結婚披露宴での余興
婚礼式の飾り
(大正中期・大阪市)
金屏風を背にしてしつらえられた婚礼飾り(床飾り)。江戸時代以降、町人層の間では、小笠原流の礼式が取り入れられましたが、大正期でも作法に従った婚礼飾りが行われていたようです。2段になった飾り棚の上に簾を敷き、婚礼飾り台がしつらえられ、その上に盃事を執り行うための飾り付けがされています。
  嫁入り道中(大正中期・大阪市)
京都から大阪に輿入れしたお宅の嫁入り道具の道中を撮影したものです。仲人さんと親族の代表者に伴われて、荷が到着したときの模様です。
結婚披露宴での余興  荷出しの際の衣装みせ
結婚披露宴での余興
(昭和5(1930)年・下京区船鉾町)
結婚披露宴では、さまざまな余興が行われます。この写真は、結婚式の余興で狂言師を招待し、演じられている様子です。
  荷出しの際の衣装みせ
(昭和15(1940)年・下京区太子山町)
2階座敷を使っての衣装みせ。座敷に緞通を敷き、その上にたくさんの衣装がところ狭しと並べられています。別の部屋には、鏡台やタンスなどが並べられています。
霊柩車   霊柩車
(大正末期か・中京区)
この霊柩車は、ビム号といわれるもので、日本における霊柩車の先駆けとなったものです。京都では、昭和初期に「宮型霊柩車」が登場し、以後定着しますが、この写真でもすでに、ドア部分には金工細工が取り付けられており、遺体を運ぶ後部座席の窓には樒が束となって飾られています。


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