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写真の黎明期と京都 |
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写真は、1838年フランスのダゲ―ルによつて、ダゲレオタイプ(銀板写真)が発明・公表されたのが最初で、日本には、嘉永元年(1848)長崎に伝来した。日本人の手になる現存する最古の写真は、安政4年(1857)に撮影された銀板写真「島津斉彬像」である。
その後、1847〜1851年にコロジオン湿板法の発明とともに世界各地に普及し、日本でも安政年間(1854〜1860)に輸入され、本格的に写真が撮られるようになった。
京都では、元冶元年(1864)大坂屋与兵衛が、始めて営業写真館を開業し普及する。
影法師 (かげぼうし)
これは、写真術が輸入される前に西洋の影響を受けて流行した影絵をあらわしており、喜多川歌麿や河鍋暁斎らの作者が知られ、江戸時代から明治までの作品が残されている。
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湿板カメラ (1855年頃・フランス製)
撮影直前にコロジオンを用いた乳剤を引いたガラス板に塗り、感光性を与え、湿っている間に撮影、現像をおこなう。 |
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「熊谷直孝」 肖像写真安政6年(1859)
この肖像写真は、湿板写真の技法が用いられたもので、安政6年(1859)に板倉槐道によって写されたと伝えられる京都では最古の写真であり、日本では湿板写真でこれ以前に年記のある写真は見当たらない。
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西洋写真薬法書・写真薬法書
大坂屋与兵衛による写真術や薬品の調整法などを書き記した薬法書。
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大坂屋与兵衛 肖像写真 文政9年〜明治13年(1826〜80)
大坂屋与兵衛は、京都における写真術の祖といわれ、文久3年(1863)国産初の鶏卵紙による紙写真の製造に成功し、元冶元年(1864)京都で初めて営業写真館を開いた。
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写真の普及と写された京都
明治時代に入ると写真も広く全国的に普及し、京都でも営業写真家が数多く輩出した。
「横浜写真帳」明治初期
初期の写真は、人物の肖像写真が多かったが、次第に風景、建物などを収めた写真が数多く撮られるようになる。
一般に「横浜写真」、「彩色写真」と呼ばれるこの写真帳は、明治期に主に外国人向けに紹介された蒔絵のアルバムで、写真に着色をし、京都の名所旧跡、風俗などを紹介する写真が数多く収められた。
写された京都―「横浜写真帳より」―

四条通(八坂神社から四条通を西に望む) | |

方広寺の鐘楼
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岡崎 疎水と内国勧業博覧会 | |

嵐山 |

円山(也阿弥(やあみ)ホテル)
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鴨川(三条大橋付近)
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大谷 円通橋 | |

下鴨 糺の森
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金閣寺
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知恩院 三門
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