学ぶ

文化財修理現場の現場から 「絵画の保存修理について ―『真正極楽寺所蔵花車図屏風』の修理を例に―」

株式会社岡墨光堂 代表取締役
岡 泰央

1、はじめに

真正極楽寺が所蔵している6曲1双の花車図屏風は、金地に藤や牡丹、すすきや萩、菊などを乗せた花車が描かれる江戸時代の狩野派による作品と考えられている。本稿は平成23、24年度の2カ年にわたり、株式会社岡墨光堂によって実施されたこの花車図屏風の解体修理を例としながら、現代の絵画修理について紹介をする。

2、花車図屏風の損傷状態について

真正極楽寺「花車図」六曲一双屏風修理後 上:右隻全図 下:左隻全図

真正極楽寺「花車図」六曲一双屏風修理後 上:右隻全図 下:左隻全図

絵画にはどのような損傷が発生し、修理が必要となるのか。絵画の損傷を具体的に明示する為に、先ずはこの花車図屏風に修理が必要であると判断される発端となった損傷について触れておく。
本作品は金箔を貼った料紙の上に緑青や群青、胡粉等の様々な顔料によって彩色が施されている。伝統的に日本の絵画は素地となる紙や絹に、牛や兎の皮等から抽出した蛋白質である膠の水溶液を用いて、顔料を接着させて彩色を施す。つまり西洋の絵画のようにワニス等で表面が保護されるという事が無い。その結果、日本の伝統的な絵画の表面は鑑賞時を中心に光と空気に直接的に晒されてしまうこととなる。また、接着の役割をしている膠は、時間が経てば自然に劣化し、その接着力を徐々に低下させてしまう。その結果、色鮮やかに配された彩色層は伝世の過程の中で剥落をおこしてしまう。特に花車図屏風の様な色の美しい絵画であれば、その剥落を可能な限り防がなければならないし、剥落の進行が認められたならば、その悪化を防ぐための修理処置を施さなければならない。

写真1

写真1

例えば左隻に描かれている菊の花に注目してみると、胡粉でしっかりと盛り上げた立体的な花弁に大きな剥離と剥落が確認できた(写真1)。

写真2

写真2

また、花車の装飾部分に注目すると、鱗状に彩色の剥離が発生しており、それが剥落へと進行しているのが明らかであった(写真2)。加えて素地となっている金箔を押した料紙についても、劣化による大きな亀裂が確認された。屏風や襖といった木製の下地に張り込む装訂形態については、安置されている場所の温湿度変化に応じて料紙は微妙に伸縮を繰り返す。その伸縮に耐えられなくなった場合、亀裂や破れといった損傷を発生させる事がある。

写真3

写真3

屏風の状態についても詳細に観察すると、作品の外周に配された表装の金襴が部分的に剥がれており(写真3)、その外側に取り付けられている漆塗りの襲木おそいぎ(屏風の外側に付けられる木製の枠のこと)にも多くの破損が確認できた。
以上のように絵画は彩色や素地、それを取り巻く構造体に経年の劣化(時には人為的なものが原因となる劣化や破損もあるが)によって発生してしまった損傷の悪化が懸念される場合に修理が必要であると判断されるのである。

3、絵画の修理と材料について

既述の通り、絵画には様々な損傷が伝世の過程で発生し、それを放置しておくと、その状態は悪化し、最終的には展示や鑑賞ができないようになってしまう。そうならない為にも損傷が認められた場合には、専門家による早急な修理が必要なのである。
さて、我が国において絵画の修理を進める場合には、幾つかの原則が定められているので、代表的なものを簡単に紹介しておきたい。
先ずは修理には「現状維持」という原則があることを示しておく。これは、修理が必要とされる絵画作品の破損の状態を「現状」と認定してそれを「維持」するという事ではない。言い換えるならばその作品の「真正性」の維持が前提なのである。真正性とは、その絵画がそもそも有していた本来的な表現、価値、美であり、それを維持ということがこの「現状維持」の意味するところである。例えば修理が必要とされている作品の絵具が剥落し、素地の料紙が部分的に破損したり、虫害によって欠損しているとする。損傷の悪化による真正性の骨格となる彩色や料紙のさらなる破損を防ぐ事が修理の目的なのである。つまり、絵具が剥落によって失われた箇所に線や色を復元的に付加する事をしてはならないのだ。これは絵画そのものが制作されたことによって有している真の価値、真正性を尊重するということから定められている原則なのだ。
また、使用する材料は基本的に可逆性を有したものでなければならない。つまり、絵画に付加される裏打紙や欠損を補う補修用の紙、それらを接着する小麦の澱粉糊等の様々な材料は、必要とあれば何時でも専門家によって除去、交換ができなければならないのである。当然、すべての材料は、修理の後に作品に悪影響を及ぼす様な素材であってはならない。殆どの修理の材料は、どのような原材料で誰がどのようにして作ったものであるのかを明らかにする事によって、材料の安全性を担保している。例えば裏打ちに用いる紙は楮という桑科の植物繊維を原料としているが、絵画の保存に適しているのは国産の楮のみが用いられ、今でも手作業で漉かれたものが使われなければならないと考えられている。それは何故だろうか。
約100年に1回程度の頻度で修理が実施される事が理想だが、修理の記録等により1世紀以上前に修理をした事が確認できる絵画を解体してみると、現時点で我々が修理に用いている素材と以前の材料に大きな違いが無いことが分かる。ここに修理現場が伝統的な材料にこだわる理由があるのである。以前に用いられた材料に近いもので修理をおこなえば、今から100年後の次の修理の際に、その材料がどのように劣化してゆくのかを明快に把握できる。つまり伝統的な材料の安全性は、これまでの時間が証明しているのである。

4、花車図屏風の修理工程

以上の様な原則の下で絵画の修理は安全性を常に重視しながら展開されてゆく。各々の工程についての詳説は紙面の都合上割愛するが、ここでは簡単に花車図屏風の修理工程を示しておく。

1.調査:修理工房内で様々な光源を用いて表面の状態を観察、記録する。彩色の状態や料紙の劣化程度等、様々な角度からの詳細な観察をおこなう事で、修理方針の詳細を定めてゆく。

写真4

写真4

写真5

写真5

2.解体と剥落止め:屏風の形を解体し、本紙料紙と裏打紙だけの状態にする(写真4)。併せて剥落の進行している彩色層に筆を用いて膠水溶液を浸透させて彩色層を強化し、この後のあらゆる修理作業に耐えうるだけの強度を彩色層に与える(写真5)。

写真6

写真6

3.裏打紙の除去:素地である紙は一般的に数枚の楮紙によって裏打ち加工が施されている。この裏打ちは言わば、建物の基礎部分であり、これを健全な劣化をしていないものに取り替える事で、絵の描かれた紙を裏側からしっかりと支える事ができるのである。この工程が現代の絵画修理においては、他の作業工程もさることながら、極めて高い技術水準が求められるものとして知られており、且つ欠く事のできない修理工程なのである(写真6)。

写真7

写真7

4.欠損部分への補填と組み立て、補彩:亀裂や欠損の箇所には裏面から補修用の紙を充てる、あるいは補填して繕うが、厚みの斑が出てはならない。余分な補修用の紙の重なりを作らないように配慮することが肝心だ。補修の終わったものには、新たに裏打紙を小麦澱粉糊によって接着し、新調した木製の組子下地に7種9層の下張りを施して、その上に裏打ちが完了した絵を張り込む。この入念な下地への下張り加工が絵画面の保存性の向上に大きく繋がる(写真7)。これは目に見えない部分であるが、決して欠く事のできない工程と言える。最後に屏風の形に仕立てて、補填した箇所へは周囲の基調色にあわせた色を入れる。既に触れている通り恣意的な形や線等の表現は一切付加しない。


5、おわりに(修理の結果と新知見について)

写真8

写真8

2ヶ年という時間をかけて実施された修理工程の要点だけを上記の通りに紹介したが、これによって損傷の進行は抑えられ、改めて安心して鑑賞ができる状態に花車図屏風の修理は完了した。最後に修理中に知り得た事実の中でも興味深いと思われる下絵の指示書きについて触れておきたい。修理中に赤外線による写真撮影を行った結果、右隻第5扇にある燕子花の下絵には「志ろ」(白色のこと)のような花弁と葉の色分けの指示書きがあった(写真8)。また、第2扇の牡丹の花と葉が複雑に描き込まれている箇所については、塗り分けの際に混同する事を防ぐ為であろうか、「花」という文字の指示書きが確認できた。
修理とは言うまでもなくここに紹介した様な損傷を改善する事を主たる目的とするのであるが、その過程を通じて明らかとなった事についても正確、且つ緻密に記録をおこなって保存をしておかなければならないのである。そういった知見は美術史をはじめとする作品研究を進める上で欠く事のできない存在であり、修理とは正にその作品を見つめる様々な分野の異なった専門家達によって情報を共有してこそ、真の価値が見出されるものなのである。

※当屏風の修復には、平成 23・24年度の2ヵ年にわたり当財団で助成を行いました。

(会報107号より)