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京都の文化遺産を守り継ぐために「伝承 -悠久の歴史-」

一般財団法人伝統文化保存協会理事長
今井 賢
京都御所 建礼門

京都御所 建礼門

山紫水明の地京都、四方を山に囲まれ、かも川のせせらぎは心を和ませる。そこかしこに、文化の息吹が感じ取れる。そんな古都、京都を私はこよなく愛する。とりわけ市内のほぼ中心に位置する京都御苑、京都御所には格別の想いがある。永く日本民族の間に培われた歴史ある伝統が、今日まで脈々と息づいている。美術、工芸、絵画、建築、庭園等の造形的文化遺産が、そのままの姿で保存されている。芝生と松の緑が色濃く、敷き詰められた白砂、築地に沿った御溝水は、清涼な流れをなしている。檜皮葺の門、建造物とのコントラストは、実に高貴な気品に満ちた美しさである。幾度の戦乱、大火、自然災害を経ながらも、今日なおこの静謐な空間を保っている。
私は、宮内庁に40年余り奉職したが、その内の数年を御苑内の京都事務所に勤務した経験を持つ。大半は皇居や東宮御所で側近業務についていた。昭和から平成へ御代の移るさなか、様々な儀式、行事を経験する事ができた。これらも永い歴史を持つ。書陵部に保管された莫大な資料を前に先人の努力に敬服しつつ新たに歴史を重ねていく。国の内外に即位を宣明される即位礼正殿の儀は、高御座、御帳台、装束、幡及び威儀の物等古式のままに挙行された。高御座、御帳台は、京都御所紫宸殿から皇居正殿松の間に搬入され、又、多くの衣紋方が京都より出向し、皇族方はじめ数多くの出役者の衣紋に携わった。
私が、現在席を置く一般財団法人伝統文化保存協会は、京都御所を起点とした有職故実の調査研究機関として、昭和32年財団法人有職文化協会として発足、昭和61年改称し現在に至っている。
当協会の創設者であり前理事長でもある石川 忠氏(1908~2009)は昭和15年から50年迄およそ35年を、宮内庁に奉職した人物である。昭和20年8月、天皇陛下の戦争終結を告げる録音盤を、阻止しようと宮内庁庁舎へ侵入して来た一部の近衛兵から、身を呈して護り、又戦後、京都御苑を進駐軍の接収から、松一本切らせまいと護り抜いた信念の人である。その後、昭和27年宮内庁京都事務所所長として赴任し、桂離宮の解体修理、修学院離宮の景観保持等、京都の文化の発展に寄与された。戦後の混乱期に於いて、京都を、日本を護らんがための偉業をなした人である。それ故にそのままの姿で現存する御苑に佇み、私は深い感慨をおぼえる。昭和50年退官後、当協会を設立し、その意志をさらに浸透させたのである。
当協会は、当初より衣紋道、雅楽、蹴鞠等の宮廷文化の保存継承を奨励し、各分野の発展に、協力を惜しまない。又御所、離宮の建造物、庭園等に関する刊行物を発行して、参観者のみならず多くの称賛を得ている。京都が誇る宮廷文化を広く理解して頂くために、各分野の講師を招き定期的に講演会を催し、好評を得ている事も大きな励みになっている。禁裏と呼ばれた当時の文化を現在に伝承する責務を感じているものである。昨年、私は伝承の大切さを、意義をしみじみと実感する時を持った。世界遺産賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)の式年遷宮に参列を許された。勅使参向のもと厳かに執り行われたこの儀式は一千二百年の悠久の歴史を持つと言う。

葵祭「路頭の儀」行列

葵祭「路頭の儀」行列
京都御所を出発する牛車(上)と斎王代列(下)

二十一年毎の社殿の造替、修補によりその技術は絶えることなく、綿々と受け継がれて行く。その前年執り行われた伊勢神宮の遷宮をはじめとして、この大いなる伝承は神々のお力を頂く日本に新たなる活力を産み出すのである。上賀茂、下鴨両神社では毎年五月、葵祭が挙行される。勅使を先頭に京都御所を出発する優雅な行列は、青葉に映え都大路を彩る。永い歴史を持つこの行列も戦禍等により度々中断を余儀なくされた。近年では昭和28年、戦後8年を経て12年ぶりに再開され、その喜びを当日の新聞は大きく報道している。当時、宮内庁京都事務所勤務の私は、内蔵寮史生と言う大役を仰せつかり、垂纓の冠に縹の袍を身に纏い鞍上の人となって、京都御所を出発した経験を持つ。冠に付けた双葉葵、葵桂が五月の風に揺れ優しい香りを漂わせていた記憶が残っている。昭和31年には斎王代列も加わり、より華やかなものとなった。500名を越す出役者の装束を始め牛車、御輿、花傘に至るまで時代考証に忠実に調達修補がなされている。御苑から都大路、鴨の河原、下鴨神社、上賀茂神社へと、その行列はまさに平安絵巻である。
伝承について述べるにあたり、特筆したいものに、正倉院御物がある。表題とは、かけ離れ甚だ恐縮ではあるが、こちらも品格ある美しい宝物に満ち溢れている。1200年余を経た宝物が、現在なお極めて良好な状態で保存されている。木造の宝庫に納められ、勅封倉であるが故にみだりに開封されない事等、多くの要因があってその材質、技法、形状、意匠、文様を現在に伝えている。修復、復元に於ける緻密な作業には敬意をはらわずにはいられない。正倉院裂の復元には、日本古来の小石丸種の絹が最適であることから皇后陛下は皇居内紅葉山御養蚕所で育てられている小石丸種を増産され、下賜されていると聞く。
伝承とは、心ある人の想いが結集してなされていくものである。このようにして文化遺産は護り継がれていく。幾多の先人の努力に敬意を表し、次世代へ確かなものとして託したい。

(会報115号より)