京都の松上げ行事 ー久多・雲ヶ畑ー
京都市登録無形民俗文化財「久多宮の町松上げ」「雲ケ畑松上げ」の記録映画(原版は16mmフィルム)。京都市左京区久多宮の町で毎年8月23日に行われる柱松(はしらまつ)行事と、京都市北区雲ケ畑出谷町と中畑町で毎年8月24日に行われる文字の形を火で表す行事である。
久多宮の町では、20時頃、龍宝寺前の松場(マツバ)に多くの地松(じまつ)が灯され、トロギの頂上部のカサと呼ばれる逆円錐形の点火資材めがけて、鉦(かね)や太鼓の鳴る中で、上げ松を投げ上げ、点火させたあと、トロギを倒す。久多では8月23日から24日にかけて上の町、中の町、下の町でもそれぞれ火の行事が行われているが、宮の町以外はトロギを立てずに松明行列の後、お神酒をいただくという形態である。宮の町の松上げを含め、これらを地元では「チャチャンコ」と称する。
雲ケ畑の出谷町では惟喬(これたか)神社の裏山で、中畑町は高雲寺向かいの愛宕山で、それぞれ毎年趣向を凝らした漢字1字を灯す。当日、若者たちは昼間に山へ点火資材を運び、割木の束を鉄製の櫓の先端の鉄枠に取り付ける。作業は櫓を寝かせて行い、20時頃、松明に点火してから櫓を起し、炎で表した文字を浮かび上がらせる。点火後は松明を持って山を駆け下り、出谷町では福蔵院に、中畑町では高雲寺に向かう。なお、雲ケ畑中津川町でも集落内で松明を焚き、中畑町の松上げへ合図を送る。
本作品では、前半で久多(主に宮の町)、後半で雲ケ畑(主に中畑町)が紹介されている。ナレーションでは、久多の5つの集落を「上の町(かみのまち)、中の町(なかのまち)、宮の町(みやのまち)、川合(かわい)、下の町(しものまち)」としているが、久多では「かみのちょう」など「ちょう」と読み、川合についても「かわいちょう」と呼ぶのが通例であるので、留意が必要である。また、宮の町松上げの会場は、現在は川の対岸に移されている。
■製作年月:昭和64年(1989)1月
■製作:京都市文化観光局(企画)
■制作:KBS京都、アート・プラザ
■29分24秒
※テレシネ原版(DVCAM)からMP4へ変換
久多宮の町では、20時頃、龍宝寺前の松場(マツバ)に多くの地松(じまつ)が灯され、トロギの頂上部のカサと呼ばれる逆円錐形の点火資材めがけて、鉦(かね)や太鼓の鳴る中で、上げ松を投げ上げ、点火させたあと、トロギを倒す。久多では8月23日から24日にかけて上の町、中の町、下の町でもそれぞれ火の行事が行われているが、宮の町以外はトロギを立てずに松明行列の後、お神酒をいただくという形態である。宮の町の松上げを含め、これらを地元では「チャチャンコ」と称する。
雲ケ畑の出谷町では惟喬(これたか)神社の裏山で、中畑町は高雲寺向かいの愛宕山で、それぞれ毎年趣向を凝らした漢字1字を灯す。当日、若者たちは昼間に山へ点火資材を運び、割木の束を鉄製の櫓の先端の鉄枠に取り付ける。作業は櫓を寝かせて行い、20時頃、松明に点火してから櫓を起し、炎で表した文字を浮かび上がらせる。点火後は松明を持って山を駆け下り、出谷町では福蔵院に、中畑町では高雲寺に向かう。なお、雲ケ畑中津川町でも集落内で松明を焚き、中畑町の松上げへ合図を送る。
本作品では、前半で久多(主に宮の町)、後半で雲ケ畑(主に中畑町)が紹介されている。ナレーションでは、久多の5つの集落を「上の町(かみのまち)、中の町(なかのまち)、宮の町(みやのまち)、川合(かわい)、下の町(しものまち)」としているが、久多では「かみのちょう」など「ちょう」と読み、川合についても「かわいちょう」と呼ぶのが通例であるので、留意が必要である。また、宮の町松上げの会場は、現在は川の対岸に移されている。
■製作年月:昭和64年(1989)1月
■製作:京都市文化観光局(企画)
■制作:KBS京都、アート・プラザ
■29分24秒
※テレシネ原版(DVCAM)からMP4へ変換